世界遺産「姫路城」の屋根と向き合う

  • 姫路城天守閣
  • 工事年:2009〜2012年

2009年から始まった姫路城大天守閣「平成の大修理」の屋根工事を、重要文化財の修復と保善に豊富な経験と実績を持つ「山本瓦工業(奈良県生駒市)」と光洋製瓦の2社が請負った。山本瓦工業の山本清一氏を棟梁として、瓦・鬼瓦・鯱瓦の修復・新調から屋根葺きまでを行った。調査・古瓦降ろし・選別・手入れに約1年。瓦製作と葺き工事に約1年を要した。大天守に使用されていた瓦は、大小合わせて約80,000枚に上り、再利用できた瓦は約64,000枚。残りの約10,000枚を山本瓦工業、約6,000枚を光洋製瓦が製作した。

古瓦降ろし工事

葺かれていた瓦を丁寧に降ろし、一枚ずつ打音検査をしながら選別し、大量の葺き土とともに天守閣の各階ごとに保管・整理を行なった。再利用できる瓦は、漆喰や土を丁寧に除去した。姫路城の瓦は、建設当時の瓦と、のちの修繕の際に作られた瓦で構成されている。様々な窯元で作られた瓦が混在しているため、瓦の大きさや角度などを計測しながらの緻密な施工図面・原寸図の作成が、特に重要なポイントとなった。正確な復元のために、瓦に番号を振り分けるなど一貫して繊細な管理が行われた。

鯱瓦、鬼瓦、瓦作り

鯱瓦

姫路城のシンボルである鯱瓦は当初、継続使用の計画だったが、多数のひび割れが確認されたことから、新たに製作することとなった。工事現場は既に葺き工事の工程に入っていたため、短期間での製作が求められた。乾燥や焼成の過程で起こりうる予測できない失敗を最小限に抑えるため、技術と経験が豊かな鬼師を集め、2名1組で合計4体を製作。特殊な乾燥技術を用いるなど、知恵と技術を結集し、慎重に進められた。現在の大天守西側のしゃちほこは、山本瓦工業社と光洋製瓦の構井俊一郎が共同制作した鯱瓦である。

鬼瓦

鯱瓦同様、降ろした鬼瓦を見本に復元新調した。光洋製瓦は、1重と3重の鬼瓦を担当。大きな瓦になるほど焼成による収縮度が増すため、製作時期や土の状態を考慮しながら試作を重ねて製作。裏面には、光洋製瓦の銘、責任者、鬼師の銘が刻まれ、後世に受け継がれる仕事となった。

瓦作り

大天守の屋根を構成する大小の棟は、それぞれ異なる曲率の反りとなっている。そのため、雨水を表側と裏側に流すために積まれる熨斗瓦は、それぞれの曲線に合わせて制作。形状の違いは10種類に及んだ。将来の葺き替えの際の記録として、光洋製瓦製の瓦の裏面にはすべて刻印が入れられている。

文化財建造物保存技術協会の調査会

文化財に関わる修復事業には、文化財建造物保存技術協会による検査が行われる。焼成後の復元瓦は、ミリ単位で計測され、製作過程の記録とともに保存される。

葺工事について

「平成の大修理」で採用されたのは、葺き土を使用しない空葺き工法。空葺き工法とは、野地の桟木と瓦を釘などで固定する工法で、比較的施工しやすいのが特徴。専門技術を持つ職人が減少傾向にあることから将来の保存を見据えて、従来の工法から新しい工法へ変更された。地上8階の高さの大天守には大型のエレベーターを設置できず、材料や機材の上げ下げの大部分を人力で行った。

鯱瓦鎮座式

2012年4月、大天守への鯱瓦の設置が完了。鎮座式では、奈良唐招提寺とのご縁でいただいたリボンが飾られ、寒暖差や風雨風雪といった姫路城で最も厳しい環境を鯱瓦が耐え抜くよう祈念された。この「平成の大修理」の文化財建築を通じて、山本瓦工業の山本清一氏と職人方々から学んだ事は数知れず、仕事から道具の工夫や段取りに至るまで、光洋製瓦にとって後世への財産となる経験を得た。 

左から 山本瓦工業(奈良) 山本清一氏(会長・本瓦葺選定保存技術保持者)
  小林伝統瓦(姫路) 小林義一氏/鯱・鬼・瓦 製作
  光洋製瓦(姫路) 構井俊一郎/鯱・鬼・瓦製作
    長尾 龍/鯱製作
    笹田奈都子(代表取締役社長)
左から  
山本瓦工業(奈良) 山本清一氏(会長・本瓦葺選定保存技術保持者)
小林伝統瓦(姫路) 小林義一氏/鯱・鬼・瓦 製作
光洋製瓦(姫路) 構井俊一郎/鯱・鬼・瓦製作
  長尾 龍/鯱製作
  笹田奈都子(代表取締役社長)