銀鉱山が隆盛を誇った明治の初め、生野と飾磨港の間の約49kmを結ぶ道として作られた馬車専用の道路――「銀の馬車道」。
生野銀山から産出した銀を運ぶ一方、港から鉱山には精錬に必要な機械や石炭が運ばれました。欧米の最新技法を取り入れた幅6mもある日本初の高速産業道路として大いに栄え、通りには多くの商店が建ち並び賑わいを見せたそうです。
完成から130年を経た現在、道の大部分は県道や国道に姿を変えました。この「銀の馬車道」沿いの集落、姫路市船津町(旧神崎郡船津村)。この周辺では良質の粘土が多く取れることから、古くから瓦造りが行われ昭和の初め頃までは多くの瓦屋が軒を並べ「神崎瓦」の名で全国に知られていました。今では、そのほとんどが姿を消し、伝統の「いぶし瓦」を造る職人もわずかとなりました。光洋製瓦は大正12年の創業以来、変わらずこの地で、伝統の技術を守りながら昔ながらの単窯で「いぶし瓦」を造り続けています。
光洋製瓦のある船津町は、姫路市の北東部に位置し、市川の清流と豊かな自然に恵まれたまち。
古くから市川の上下、東西を結ぶ要地であり、かつて市川河岸に船泊り場があったことから「船津」の地名がついたともいわれています。ここ船津町には、昔から瓦の材料となる良質の粘土があり、1805年、姫路城主の命を受け、その地に窯を開いたのが始まりです。1930年頃までは、多くの瓦屋が軒を並べ、『神崎瓦』の名で全国に知られるなど、姫路の地場産業としての地位を確立いたしました。現在、製造元は、少なくなってきたものの多くの歴史建造物に本物の日本瓦とその伝承された技術『日本の伝統文化』を見ることができます。